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犯罪史に名を刻んだ凶悪犯たちの中には、その残虐さと冷酷さで世界中を震撼させた者たちがいます。本記事では、海外で最も凶悪とされる10人の犯罪者を紹介します。
彼らの犯行は、単なる犯罪を超え、人々の心に深い恐怖と衝撃を与えました。
それぞれの事件の背景や犯行の詳細を通じて、彼らがどのようにしてその悪名を轟かせたのかを探っていきます。
ロドニー・アルカラ事件
San Quentin State Prison, California Department of Corrections and Rehabilitation – http://www.laweekly.com/photoGallery/index/833085/10/, パブリック・ドメイン, リンクによる
事件の概要
ロドニー・アルカラ事件とは、1970年代から1980年代にかけてアメリカ合衆国で発生した連続殺人事件のことです。犯人のロドニー・アルカラは、カリフォルニア州を中心に少なくとも5人を殺害したとされ、実際にはさらに多くの犠牲者を出したと推測されています。
事件の特徴として以下の点が挙げられます。
長期間にわたる犯行
アルカラは長期間にわたり犯行を繰り返しており、逮捕されるまで多くの犠牲者を出しました。
多様な手口
絞殺、窒息など、複数の殺害方法を用いていたとされています。
犯行の巧妙さ
アルカラは犯行現場に残した証拠を巧みに隠蔽していたと考えられており、逮捕まで長期間かかった要因の一つとなっています。
犯行と写真
アルカラは殺害した、もしくは殺害しようとした女性の多数の写真を所持していました。これらの写真は捜査に大きな役割を果たしました。
「デートゲームキラー」の異名
アルカラは、出会いの場やパーティーなどで女性に近づき、殺害したことから「デートゲームキラー」と呼ばれています。
死刑判決
アルカラは複数の殺人で有罪判決を受け、死刑判決が下されました。
結論
アルカラの逮捕には、彼が参加したテレビ番組の視聴者からの情報提供など、様々な幸運な偶然が重なっていました。 しかし、彼の犯行の全容は未だに解明されていない部分が残っており、実際にはもっと多くの犠牲者が出たと考えられているため、現在でも調査が続けられています。 多くの未解決事件が残されている、極めて重大かつ複雑な連続殺人事件です。
エド・ゲイン事件
事件の概要
エド・ゲイン事件は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州プレーンフィールドで起きた、猟奇的な連続殺人事件であり、その残虐性と異様な犯行によって、アメリカ社会に大きな衝撃を与えました。 エド・ゲイン自身は、1906年生まれで、1984年に死去しています。彼の犯行は、1957年に明るみに出ました。
初期の生活と影響
ゲインは、極めて異常な母親の影響を受けて育ちました。母親は極度の宗教的偏見と、性的禁欲主義を持ち、息子を社会から隔離し、女性を忌み嫌うように洗脳しました。 ゲインは、母親と二人きりで生活し、非常に内向的で、社会不適合な人物として育ちました。母親の死後、彼の異常性が顕著に表れ始めました。
犯行の開始
母親の死後、ゲインは少なくとも2人の女性を殺害し、遺体を解体して、トロフィーや家具、衣服などに加工しました。 これらの遺体の一部は彼の家の様々な場所に飾られていました。例えば、人間の皮膚で作られたランプシェード、女性の骨で作った椅子など、彼の異常な嗜好を示す証拠が多数発見されました。
バーバラ・ワーゲンザーとマリア・マーグレンの殺害
最も知られている被害者は、1954年に失踪したバーバラ・ワーゲンザーです。彼女はゲインによって殺害され、彼女の遺体は彼の家で発見されました。その後、1957年にマリア・マーグレンの殺害が判明し、これにより事件が発覚します。 マーグレンの殺害は、地元の警察への届出によって捜査が始まり、ゲインの異常な行動と自宅に隠された証拠が発見されました。
逮捕と裁判
ゲインは逮捕され、一級殺人罪と盗難罪で起訴されました。精神鑑定の結果、彼は精神異常者と判断され、殺人罪は「心神喪失」を理由に不問に付されました。ただし、盗難罪については有罪となり、州立精神病院に収容されました。
その後
ゲインは生涯を精神病院で過ごし、1984年に心臓発作で死亡しました。
事件のインパクト
エド・ゲイン事件は、アメリカ社会に大きな衝撃を与え、多くの映画や小説、楽曲の題材となりました。 彼の犯行の残虐性と異常性は、ホラー映画のジャンルに大きな影響を与え、「サイコ」や「テキサス・チェーンソー・マサカー」といった作品は、ゲインの事件からインスピレーションを受けていると指摘されています。
事件の主な特徴
ネクロフィリア(死体愛)の要素
ゲインは遺体に対する異常な欲望を持っており、遺体を解剖し、装飾品や家具などに加工していました。
母親の支配的な影響
彼の異常な行動は、母親による抑圧された童年期と深く関係していると見られています。
社会からの孤立
ゲインは社会から孤立しており、そのことが彼の犯罪に繋がったと考えられています。
結論
エド・ゲイン事件は、人間の深層心理の闇を浮き彫りにした事件であり、未だに多くの議論の的となっています。彼の異常な行動の根本原因は解明されていませんが、彼の事件を通して、心理的虐待と社会からの疎外が、極端な犯罪へと繋がる危険性を改めて認識させられました。 彼の物語は、犯罪心理学や社会心理学の研究においても重要な事例研究となっています。
ヘンリー・ルーカス事件
事件の概要
ヘンリー・ルーカス事件は、1970年代後半から1980年代初頭にかけてアメリカ合衆国で発生した連続殺人事件で、ヘンリー・リー・ルーカスとオットー・アンドレという2人組によって犯行が行われたとされています。 しかし、事件の真相については多くの疑問点が残っており、彼らが自供した犯行の全てが事実であるとは断定できません。
自供の数
ルーカスは、テキサス州、フロリダ州、その他の州で数百件もの殺人に関与したと自供しました。 これらの自供は、非常に詳細にわたるものだったとされていますが、多くの場合証拠が乏しく、実際には関わっていなかったと見られるケースも多く含まれていました。
公式に確認された殺人
ルーカスとアンドレは、最終的に11件の殺人について有罪判決を受けました。 しかし、この数は、彼らが自供した数と比較すると非常に少ないです。
犯行手口
ルーカスとアンドレは、様々な手法で殺害を行ったとされています。 絞殺、射殺、刺殺など、多様な方法が使われていたと報告されています。 また、遺体の損壊や不自然な配置などもあったとされています。
オットー・アンドレの役割
アンドレはルーカスに同行し、一部の殺人に直接加担したとされています。 しかし、アンドレ本人の関与の程度や、ルーカスからの影響の大きさは、議論の余地があります。
自供の信憑性
ルーカスは精神的に不安定であるとされており、自供の内容に矛盾点も多く、証拠がないケースも多いため、彼の自供の信憑性を巡っては大きな議論がなされてきました。 警察の取り調べ手法や、自白を引き出すための圧力についても問題視されています。
動機
ルーカスは、様々な動機を語っていたとされています。 金銭目的、性的欲求、あるいは単なる殺意なども含まれます。 しかし、明確な動機は特定されていません。
事件の複雑さ
未解決の殺人
ルーカスが自供した数百件の殺人のうち、多くの事件は未解決のままであり、真犯人が誰なのかは不明なままです。
証拠不足
多くの場合、ルーカスが自供した殺人事件には、遺体や決定的な証拠が不足していました。そのため、自供に基づいて有罪判決が下されるケースもありましたが、その信憑性については議論の余地があります。
警察の取り調べ
ルーカスは何度も取り調べを受けており、警察の取り調べ手法や圧力についても、彼の自供の信憑性に影響を与えた可能性が指摘されています。
結論
ヘンリー・ルーカス事件は、アメリカ犯罪史における最も複雑で議論の多い事件の一つです。 彼の自供の信憑性、実際の殺人数、そして彼の犯罪におけるオットー・アンドレの役割など、多くの疑問点が未解明のまま残されています。 事件は、連続殺人犯の心理、警察の捜査手法、そして司法制度の問題点などを考える上で重要なケーススタディとなっていますが、多くの情報は推測や不確かな証言に基づいていることを念頭に置く必要があります。
マルセル・プショー事件
匿名 (Keystone-France) – Getty images, パブリック・ドメイン, リンクによる
マルセル・プショーは、フランスの連続殺人犯で、第二次世界大戦中に多くの人々を殺害しました。彼は「死神博士」とも呼ばれ、医師としての地位を利用して被害者を騙し、殺害しました。
プショーは、ナチス・ドイツの占領下にあったフランスで、ユダヤ人や他の逃亡者に国外脱出を手助けすると偽り、彼らを自宅に招き入れました。そこで彼は被害者を毒殺し、遺体を焼却して証拠を隠滅しました。彼の犯行は非常に残虐で、被害者の数は少なくとも26人、多くて63人に上るとされています。
1944年、プショーの自宅から悪臭がするとの通報を受けた警察が捜査を開始し、地下室で焼却された遺体を発見しました。プショーは逮捕され、1946年にギロチンで処刑されました。
彼の事件は、戦時中の混乱と恐怖を象徴するものとして、フランスの犯罪史に深く刻まれています。
ジェフリー・ダーマー事件
Revere Senior High School – Reverie, yearbook of Revere Senior High School, Richfield, Ohio, パブリック・ドメイン, リンクによる
ジェフリー・ダーマーは、アメリカの連続殺人犯で、1978年から1991年にかけて17人の若い男性を殺害したことで知られています。彼は「ミルウォーキーの食人鬼」とも呼ばれ、その犯行は非常に残虐で、被害者の遺体を切断し、一部を食べるなどの行為を行っていました。
ダーマーの犯行は、主にオハイオ州とウィスコンシン州で行われました。彼は被害者を自宅に誘い込み、薬物を使って意識を失わせた後、殺害していました。遺体は解体され、一部は保存されていました。
1991年、ダーマーの自宅から逃げ出した被害者が警察に通報し、彼の犯行が明るみに出ました。警察が彼のアパートを捜索した際、冷蔵庫や冷凍庫から人間の遺体の一部が発見されました。
ダーマーは逮捕され、1992年に終身刑を言い渡されましたが、1994年に刑務所内で他の囚人によって殺害されました。
彼の事件は、アメリカの犯罪史においても特に衝撃的なものとして知られています。
ビンガムトン銃乱射事件
ビンガムトン銃乱射事件は、2009年4月3日にアメリカ合衆国ニューヨーク州ビンガムトンで発生した銃乱射事件です。この事件は、41歳のジヴァリー・アンタレス・ウォン(Jiverly Antares Wong)によって引き起こされました。ウォンは、ビンガムトンのアメリカ市民協会(American Civic Association)に侵入し、銃を乱射しました。
事件当日、ウォンは午前10時30分頃に協会の建物に侵入し、受付係を含む14人を射殺し、4人を負傷させました。ウォンはその後、自ら命を絶ちました。
ウォンの動機は明確ではありませんが、彼は過去に職を失い、英語の能力に対する不満を抱えていたとされています。また、彼は事件前にテレビ局に手紙を送り、自分の行動を予告していました。
この事件は、アメリカ国内での銃乱射事件の一つとして広く報道され、銃規制の必要性についての議論を呼び起こしました。
ヒンターカイフェック事件
不明 – https://media1.faz.net/ppmedia/aktuell/gesellschaft/1213863348/1.7921447/format_top1_breit/erst-vor-einigen-jahren.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
ヒンターカイフェック事件は、1922年3月31日にドイツのバイエルン州で発生した未解決の殺人事件です。この事件では、農場に住んでいた一家6人が何者かによって惨殺されました。被害者は、農場主のアンドレアス・グルーバー(63歳)、その妻ツェツィーリア(72歳)、娘のヴィクトリア(35歳)、孫娘のツェツィーリア(7歳)、孫息子のヨーゼフ(2歳)、そして使用人のマリア・バウムガルトナー(44歳)です。
事件の詳細は非常に謎めいており、犯人は特定されていません。事件当時、農場の周囲には不審な足跡が見つかり、家の中では被害者が斧で殴られた痕跡がありました。さらに、事件後も犯人が数日間農場に滞在していた形跡があり、家畜の世話や食事の準備が行われていたことが確認されています。
この事件は、ドイツ史上最も謎に満ちた未解決事件の一つとして知られており、現在でも多くの人々の関心を集めています。
ロバート・ピックトン事件
ロバート・ピックトンは、カナダの連続殺人犯であり、特に「豚農場の殺人鬼」として知られています。彼はブリティッシュコロンビア州ポートコキットラムにある家族の豚農場で、多くの女性を殺害しました。
ピックトンは、1995年から2001年にかけて少なくとも26人の女性を殺害したとされています。彼の被害者の多くは、バンクーバーのダウンタウン・イーストサイド地区の性労働者でした。彼は被害者を農場に誘い込み、殺害した後、遺体を処理していました。彼は49人の殺害を自白し、50人目を殺害しようとしたが、捕まったために計画が中断されたと語っています。
2002年に逮捕され、2007年に6件の第二級殺人罪で有罪判決を受け、仮釈放の可能性なしに終身刑を言い渡されました。彼の犯行はカナダ全土に衝撃を与え、特に行方不明および殺害された先住民女性の問題に対する関心を高めました。
ピックトンは2024年に刑務所内で他の囚人によって攻撃され、死亡しました。
コロンバイン高校銃乱射事件
U.S. Geological Survey (USGS) and the Denver Regional Council of Govrnments (DRCOG) – https://earthexplorer.usgs.gov/, パブリック・ドメイン, リンクによる
コロンバイン高校銃乱射事件は、1999年4月20日にアメリカのコロラド州リトルトンにあるコロンバイン高校で発生した悲惨な事件です。この事件では、エリック・ハリスとディラン・クレボルドという二人の生徒が学校内で銃を乱射し、12人の生徒と1人の教師を殺害し、24人を負傷させました。
事件当日、ハリスとクレボルドは学校に爆弾を仕掛け、銃を持って校内を移動しながら無差別に発砲しました。彼らは最終的に図書館で自殺しました。
この事件は、アメリカ国内外で大きな衝撃を与え、学校の安全対策や銃規制の必要性についての議論を巻き起こしました。また、いじめや精神的な健康問題が事件の背景にあったとされ、これらの問題に対する関心も高まりました。
アルバート・フィッシュ事件
パブリック・ドメイン, リンク
アルバート・フィッシュは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで活動した連続殺人犯で、特にその残虐性と異常性で知られています。彼は「満月の狂人」や「ブルックリンの吸血鬼」といった異名を持ち、数多くの子供たちを犠牲にしました。
フィッシュの犯行は、1910年から1934年にかけて行われ、彼自身の供述によれば、400人以上の子供を殺害したとされていますが、実際に確認された犠牲者は15人程度とされています。彼の犯行は非常に残虐で、被害者の遺体を解体し、一部を食べるという行為も含まれていました。
特に有名な事件の一つは、1928年に起きたグレース・バッド事件です。フィッシュは、グレース・バッドという10歳の少女を誘拐し、殺害した後、その遺体を食べたとされています。この事件は、フィッシュがグレースの母親に送った手紙によって明るみに出ました。
フィッシュは1934年に逮捕され、1936年に電気椅子で処刑されました。彼の犯行は、アメリカ犯罪史上最も残虐なものの一つとして記憶されています。
まとめ
世界には数多くの凶悪犯が存在し、その残虐な行為は多くの人々に衝撃を与えてきました。彼らの犯行は、単なる犯罪を超え、人々の心に深い傷を残しました。例えば、アルバート・フィッシュは、子供たちを標的にし、その遺体を食べるという恐ろしい行為を行いました。また、ジェフリー・ダーマーは、17人を殺害し、その一部を食べるという異常な行動で知られています。これらの凶悪犯たちは、犯罪史において最も恐ろしい存在として記憶され続けるでしょう。
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