⏲この記事は約 7 分で読めます。
【心霊・短編】
【怖さレベル】

時は1945年、硫黄島。
先日、現役のアメリカ海兵隊士官さんと仕事の都合で話をしたんですが、その時に聞いた話が結構えぐいので書いておきます。
新兵を訓練する際に何度も出る話だそうですが、いわゆる戦闘慣れした頃に陥る自信過剰って奴の1つで、敵方が逃げ出し始めた時に、戦線を崩して追いかけ始めてしまう奴が出るんだそうです。
戦線と言うより戦列と言うべきなんですが、銃を構えた兵士が横一列に並ぶのは味方同士が打ち合わない為に非常に重要な事なんだそうです。
そりゃ、だれだって味方に打たれて戦死なんていやですからね。パープルハート勲章も貰えないし。
時は1945年。小笠原諸島の南に浮かぶ絶海の孤島。硫黄島。
この島を巡って血で血を洗う激戦が行われたのは皆さんもよく知る所でしょうが、私が話をした士官さんはおじいさんが従軍されたそうで、その時のエピソードをよく聞いたそうです。
曰く『どんなに不利だと思っても日本兵は投降しない』とか、或いは『日本兵は最後の一人まで勇敢だったとか』
んで、その中に出てくる話ですり鉢山攻防戦ってのがあるんだそうですけど。
あれです、映画、父親達の星条旗のあのシーンの山です。
最後の数名が頑強に抵抗するすり鉢山を包囲して、慎重にすり潰しながら前進し、最後の一兵が手榴弾で応戦している中、十字砲火を浴びせたそうですけど、その後に星条旗を立てて占領をアピールしたんだそうです。
ところが、翌朝になるとその星条旗が倒れてる。だからもう一回立てる。
ついでに、星条旗を立てるシーンを写真に撮ったり記録映画撮ったりしながら。
でも、翌朝になるとまた倒れている。しかも、旗ざおが折れている。鉄製なのに。
で、事件はおこります。
ある晩、業を煮やした若手士官が小銃を持って星条旗のすぐ近くで歩哨に立ったんだそうです。見張りですね。
何度も何度も星条旗を倒されては海兵隊の名折れ。責任もって犯人を射殺しろって命じられてたんだとか。
その晩、歩哨にたった士官は真夜中に足音を聞いたんだとか。
複数名の足音が、慎重に距離をとって接近して来るんだそうです。
正直「来たな!」と思って、小銃の安全装置を解除し、近くに着たら斉射してやる!と銃を構えたんだとか。
ところが、指呼の間に接近した所で足音が止まってしまい、士官は「気付かれた!」と慌てたとか。
息を殺してジッと待っていると、何事かの会話が日本語でなされ、バタバタと斜面を駆け下りる足音が聞こえたそうです。
士官はその足音の方向へ数発射撃し、自分も身を晒して足音を追いかけたんだとか。
追撃戦って非常に危ないんですが、逃がすのも癪だと思ったんだそうですよ。
一緒に歩哨に立っていた海兵隊の兵士も走ったそうです。
走って走って射撃しながらまた走って、弾を撃ちつくして次の5発を押し込んでまた撃って走って。
で、前方で『ギャー!』と悲鳴が聞こえて、しめた!当たった!と思いつつ、日本語で『トマレ!』と叫んだんだそうです。
余談ですが、大戦中の米軍士官は「トマレ」「ジュウヲステロ」「トウコウシロ」など、簡単な日本語指示を学んでいたんだそうです。
ところが、今度はその敵側から凄い勢いでバンバンと撃たれ始めたんだとか。
士官の左右をシュンシュンと音を立てて銃弾が通過したんだそうです。
コリャヤバイ!と振り返り、斜面を走りながら逃げたらしいんですが、途中で何かに躓いて倒れたら、そこが日本軍守備隊の掘った塹壕だったそうで、頭から落ちて側頭部を痛打。昏倒状態になっていたら下からバリバリと射撃しながら海兵隊が斜面を登ってきたそうです。
で、一緒に追跡していた筈の海兵隊兵士と同士討ち。
翌朝、明るくなってから調べたら30人近く死んでたとか。
その日から星条旗は夜間になると取り外され、麓の前線本部で管理される事になったらしいですが、朝になって山頂部へ星条旗掲揚へいくと、かならず足跡が残っていたんだそうです。
それも、登ってくる足跡だけ。
硫黄島では1945年9月に最後の日本兵を収容したそうですが、終戦後まで散発的抵抗は続いていたんだそうです。
死霊とか幽霊とかそう言う話も恐ろしいですが、生きてる人間の執念とかも充分恐ろしいなぁと。
そんな話でした。
〈了〉
八甲田山で凍死した旧日本軍兵
八甲田山にまつわる怪談話は有名だけど、知らない人の為に詳細をまとめて書いてみる。
時代は明治、日露戦争直前の日本で、対ロシア戦争に向けて雪中行軍訓練が行われたんだね。
1月のただでさえクソ寒い時期に、青森の連隊基地から県南にある八甲田山へ向けて歩兵第5連隊210名は訓練へ出発したんだ。
遭難当時、八甲田山は天候も最悪だったらしい。
そりゃあ寒かったらしく、気温-20℃なんて推測もある。
お約束どおり、三日も経たずに半数が凍死。
結果、その訓練に参加していた兵隊210人中、199人が死亡するっていう悲劇になってしまったわけだけど。
事件の原因にも、そういう気象条件とか、あまりにお粗末な装備とか、言われてるみたいだけどね。
下士官にあてがわれた防寒具も、毛糸の外套二枚だけだったとか、ちょっと有り得ないよね。
遭難して、寒くて寒くて、もう訓練どころじゃなくて、自分達の命さえどうなるかわからない極限状況だった。
そんな中だったから、色んな逸話が残っているよ。
ちょっと挙げてみると、
・重い凍傷にかかった上官を助けようとしたのだろう、下士官が覆いかぶさってそのまま凍死していた。
・あまりの寒さに錯乱した兵が「救助を呼びにいく」と行って川に飛び込み、寒中水泳。もちろん下流で死体となって発見。
・連隊に報告しに行った兵が、雪の中に直立したまま、仮死状態で凍りついているのを救援隊に発見された。
・雪に埋もれた瀕死の兵を発見、軍医が気付け薬を注射しようとするも、皮膚まで凍っていたために注射針が折れてしまった。
これだけでもどれほどひどい有様だったかが、わかる気がするね。
助かった人間の中にも、壊死した四肢を切断することを余儀なくされた人が一杯いたんだってね。
この事件は新田次郎が小説『八甲田山死の彷徨』にまとめているけど、この本のあとがきには兵士達の亡霊の話が掲載されているんだ。
事件後、死んだ兵隊たちが出発して行った青森の基地には幽霊が出るという噂がたったんだ。
夜もふけた頃、山の方から沢山の軍靴の音が響いてくる。
ザッザッザッ…ザッザッザッ…
死んだ兵隊たちが、きちんと整列して帰ってくるんだそうだよ。
流石に基地にいる兵たちもビビルよね。
だって、死んだはずの兵隊200人余りの亡霊が、毎夜帰ってくるんだから。
軍人でも幽霊は怖いよ。
しかも、みんな見てるんだからね。彼らを。
軍隊で幽霊話とか、洒落になんないよ。
この基地の連隊長は、「こりゃあ何とかしねーとなー…」と思ったそうだよ。
そんで、ある日のこと。夜になるといつものように、沢山の軍靴の音が響いてきたらしいんだ。
ザッザッザッ…ザッザッザッ…
そこで連隊長は、ここぞとばかりに暗闇の中に飛び出していったんだ。
基地の門前には、あの時の兵隊たちが整列して、こっちを見てる。
連隊長もこの時ばかりは、ちょっとブルったかも知れないね。
だけど連隊長は彼らに向かって、
「諸君らの無念はよーくわかる!でもな!諸君らの死は無駄ではないぞ!だから、いい加減こんなところで血迷ってるんじゃないッ!」的な檄をとばした。
ついでに、
「今後、またウロつくようなことがあったら、この俺が許さんぞ!」
と言って、軍刀を振りあげた。
「回れー右!進めーっ!」
すると、兵隊200名余りの亡霊はクルッと向きを変えて、すごすごと山の方へ帰っていったそうだ。
今でも、陸上自衛隊が八甲田山で雪中訓練をするそうだけど、夜に大勢の人が歩き回っているとか、野営用のテントを叩かれるとか、そういう話が沢山あるそうだね。
彼らの亡霊は、今なお山中を彷徨っているのかもしれないねぇ。。。
余談だけど、以前どっかのスレで陸上自衛隊レンジャー課程の話を見た記憶があってね。
レンジャー課程では数ヶ月の山篭りをするそうだけど、山で得体の知れない化け物に遭遇したときの訓練、的なものもあるらしいね。
途中で頭おかしくなりそうになって、リタイアする人もいるそうだけど。
まぁ山に化け物がいてもおかしくないよね。
そもそも、人の手の及ばないような山奥は、彼らのテリトリーっぽいし。
〈了〉
コメント